母の突然死
12月30日午後11時10分、母が亡くなりました。
晴れていたので俺は午後、芝刈り鋏を使ってのびきったまま枯れた芝の刈り込みをした。(夏は暑過ぎたし、芝刈り機が古くて役に立たなくなってるのでほっておいたもの)
手動でやるにはちょっと広い面積をしゃがんでやったので、疲れて低血糖状態でフラフラ。
甘いおやつやフランスパンを食べて少し回復したものの、夕飯を作るのが7時50分頃になってしまった。
暖房をつけていても結構寒い室内。母は朝から体調が悪いと言って朝はそのまま起きてこなかった。
お昼頃にご飯と味噌汁か何かをベッドに運んであげて、食べたんだと思った。
夕方になってやっと起きてきたんだったかな。
8時前の遅い夕食。
ご飯の残りに、レタスとトマトのサラダ、生協の宅配の冷凍のチキンスティックをレンチンしたもの。
スティックを珍しく4つくらい食べてたな。「4つも食べちゃった(笑)」なんて笑っていたのを覚えている。俺は疲れてるしさっき少し食べたから食欲がなく2つくらい。
先に食べ終わった俺は「先にしばらく休んでるね」って伝え、一旦2階で横になった。せいぜい8時半頃だったと思う。
9時からはテレビでは映像の世紀バタフライエフェクトの年末特別版をやっていた。映画の中の昭和の風景。その前のニュース天気予報から続いて見ていたんだろう。布団に横になっていて半分夢うつつだったので、ほとんど内容は覚えていないが、白黒の映像が動いているのだけ記憶にある。
9時40分頃だったと思う、1階でバタンという大きな音がした。
母はこれまでも時々足を滑らせて転ぶことがあり、またそれかと思ってすぐに行くと、案の定母が台所で倒れている。夕飯の後片付けをしていてすべって頭でも打ったのか?
声をかけるが気を失って反応がない。口の中から食べたものがほんのちょっと吐き出されている。
慌てて119番に電話。オペレーターの方の指示で呼吸を確認するが、息をしている様子がない。すぐに胸を押す心臓マッサージを行う。
何かの童謡のテンポで押すといいんだってテレビで言ってたよな?などと思ったけど、その曲は思い出せない。とにかく押し続けるしかない。
必要ないのに自分までそれに合わせてハッハッハッハッ…という呼吸になってしまい、この後すごくのどが渇くことになる。
その甲斐あってか、口の中に入っていたものが押し出されてきた。もしかして呼吸回復した!?
そのうち救急車が到着。数人の救急隊員の方が入ってきて同じように心臓マッサージをし、点滴をしたり、アドレナリンの注射を打って無理に心臓を動かしてくれている。AEDもやったと思う。
3匹の猫たちはびっくりしてどこかに隠れてしまっている。
10畳の居間でも家具が多いところに5〜6名の救急隊の方々。俺はテーブルなどを動かしてスペースを作る。点滴の袋を掲げていて欲しいと言われればその通りに。
心臓マッサージは俺がやったのよりずいぶん強い。肋骨を骨折する人もいると言われるくらいだが、俺ももっとそうすべきだったな。
2〜30分ほど(?)そうして蘇生措置をしてくれたが、母の意識も呼吸も回復しないので、救急車で済生会に行くことに。
車内でも懸命の心臓マッサージ、注射などをしてくれている。
つながれたAEDからは「電気ショックをするから離れてください」というメッセージが何度も聞こえるが、今はその必要がないらしく隊員の方達はそれを無視してマッサージなどをしている。覚えていないけど、たぶん気管挿入して酸素を送ったりもしていたんじゃないかな?
病院に着き、俺はすぐに降ろされて待合室に案内されたのでよくわからないが、おそらく適当なところで救急車から病院内に移ったのだろう。
受付で書類に名前や住所を書き、あとはひたすら手を合わせて意識と呼吸の回復を祈るのみ。
30分以上たった後だろうか、担当の若い男性医師が来て、母の意識と呼吸が回復せず、このまま続けてもかえって体にダメージを負ってしまうので、人工呼吸の中止を提案され、家族の決断を…と言われた。仮に回復しても脳にダメージが残るだろうとも。
以前父が亡くなりそうだった時は、自然死を待つか胃ろうにして生きながらえさせるか決断できず、診療所からの往診の先生に「もう休ませてあげてはどうでしょうか?」と言ってもらうことを待つことになってしまったことを悔いていた。
しかし今回は決断し、これ以上の蘇生措置の中止をお願いした。母も生前から無理な延命治療はされたくないと言っていた。突然のお別れで心の準備も何もなかったけど、これが息子として生前最後の孝行だったと思う。
死因がはっきりしないので、自費になるがCTを撮っていいか聞かれたので、承諾した。
でも結局わかんなかったんだよね。上半身のCTだって言ってたように記憶している。
救急の部屋に呼ばれ、ベッドで寝かされている母と再会。心電図(?)では弱い波形が数字とともに表示されている。医師によると、心肺は停止しているが生理的な電気がこうしてしばらくは流れるのだそうだ。
体の横にのばされた手を握って動かしてやると、20くらいだった数字が30くらいまで上がる。でもこれはやはり手を動かしてあげたせいで、心臓が動き出したわけじゃないと。
しばらくしていると、その数値もほぼ0になった。医師がやってきて瞳孔の収縮などを確認し、23時10分、母の死亡が宣告された。
来年2月には94歳になる。
これまでかかったお医者さん達には皆「お年の割にはお元気ですね」と言われていた。
さすがに多少短期的な記憶力が怪しくなって同じ話を何度もしたり、耳が若干遠くなったり、夜間頻尿で紙パンツのお世話になったりということはあったが、疲れると言って嫌がったが月1回くらい病院通いもしたし、短距離なら自分の足で歩けたし、食事も入浴も自分でできた(食事を作ったりの家事全般はもちろん俺がやってた)。夕食後の洗い物やお米の準備も時々やってくれていた。
だから俺もまだしばらくはそこそこ元気でいてくれると思っていたんだけど、母自身は年毎に衰えてきていると常日頃から言っていた。数年したらもっとヨボヨボになって介護サービスのお世話になるんだろうなって思ってた。でもそうならず、俺による介護だけで終わってしまった。
父の介護と合わせて20年くらいになるかな。
最初は母が大腿骨の大きな手術をして長期入院するため、もともと足が悪く、パーキンソン病の症状も出始めていた父と猫たちの面倒を見るために仕事を辞めて帰ってきて欲しいと言われた。
正月に帰った時に相談され、「東京で暮らすのももういいんじゃないか?」って。自分もかつてはやりたいこともあったけど、具体化できなかったし、いろいろ夢破れた思いもあった。派遣で生計を立ててはいたものの生活はギリギリで、この先どうすればいいかな?なんて漠然と考えていた。具体的に考えると怖いから漠然としか考えていなかったんだな。
居間のテーブルの上にさりげなく置かれた広告の裏紙に、童謡「かあさんの歌」の3番の歌詞が母の手書きで書かれていた。
「かあさんの あかぎれ痛い 生みそをすりこむ」……たぶん少しでも息子の同情を買って帰ってきて欲しいって願う、母のいじらしい行動だったんだろう。そんなことされたらかわいそうで帰って来ないわけにいかないじゃん。
それだけが理由じゃなかったけどさ、俺は実家に戻ってくることに決めたのよ。
昔だったら一晩くらい病院の霊安室に置かれて、翌日の昼間にでも葬儀会社に連絡して…なんてことを考えていたんだけど、最近は霊安室なんてなく、その日のうちに葬儀会社を選定して引き取ってもらうらしい。
父の時と同じく、加入している生協に真夜中に連絡して、提携の葬儀会社の人に来てもらうことになった。
その前に警察の人が来て、事件性がないか自宅に行って調べることになり、車に同乗して自宅へ。母が倒れた状況や、母が着ていて蘇生措置の時に脱がされた衣服(パジャマなど)を床に並べ、母の保険証や銀行の通帳、寝室や2階の俺の部屋なども写真を撮られた。まあいろいろ手続き上あるらしいのでしょうがない。
母の実家や通っていた高校なども知ってる範囲で答えさせられもした。さすがにそこまでいくとよくわからないが。
当然事件性はないだろうということで、また病院まで戻る。
医師によると、外傷などが見られずはっきりした死因が不明ということで、診断結果は「不詳の内因死」。体の内側のことによる死亡だが、詳しくはわからないということだ。
希望すれば警察の方でも司法解剖をしてくれるというが、それではっきりするともわからないということなのでお断りした。
3時頃だったか、葬儀社の方々が霊柩車で来てくれて、母の遺体を自宅まで搬送し、いつも寝ているベッドに寝かせてくれた。
葬儀社の方々が帰り、びっくりしていた猫達をなだめ、救急隊の方々が入って散らかった部屋を簡単に直し、布団に入ったのが4時半頃。
こないだのタヌキ騒動ののちにストレス性(?)の膀胱炎にかかったミーちゃんがどうしても庭でおしっこをしたいと絶え間なく鳴くので一度出し、すぐまた泥足で入ってきたのを風呂場で洗い、でもまたすぐ庭に出たがって鳴く…ということを繰り返したため、その晩はほとんど寝られなかった。そうでなくてもこちらも興奮と不安で寝つきが悪かったし。
明けて大晦日は10時に葬儀社の営業さんが来て葬儀内容を決めねばならないから、8時半には起きなきゃ…………
というのがその晩にあったことの詳細。自分のための記録と記憶のため書き記す。
さて、外傷がないし、CT撮っても明確な死因がわからないくらいなので、以下はあくまで素人の推測になる。
今年初めの頃に、処方されて飲んでいた高血圧の薬が効き過ぎたらしく、夏風邪以降に「頭がフラフラする」と貧血のような症状を訴えるようになり、しばらく通院した。(鉄分を補う薬などをもらって飲んだ)
さらには食卓に座ったまま意識を失って救急車を呼んだことがあった。その時は救急隊が着く前に意識を取り戻し、「意識を失ってなんかいないよ(笑)」なんて言っていたくらいだった。
薬を見直してもらい、強い薬を減らし、血圧は少し高くなったがそれ以降体調は安定してくれていたのだが、年齢もあるし、暖房をつけていても寒い室内。部屋ごとの寒暖差なども激しいので、体調が良くなかったところに寒い台所に行ったため、温度差などから血圧が急激に低下してこんなことになったんじゃないだろうか?
だからといって呼吸まで止まっちゃうのかどうかはわからないけど、いろんな要因が重なったんだと思う。
表面的には元気そうに見えていても、体は限界を迎えていて、ふとしたはずみで一線を超えちゃったんだろう。突然死で残された俺としては悲しくて残念だけど、ある意味理想的なピンピンコロリだったし、死に至るまでの苦痛も少なく、天寿を全うした老衰だったんじゃないかと思う。
やさしい母でした。
花が好きで、猫が好きで、足が悪かった父や俺ら子供達の面倒もよく見てくれた。
苦手だったらしく、運動なんかをしてるところは見たことがないし、老いてからも自発的にスーパーで買い物して脚を鍛えるなんてこともしなかった。
右足に人工股関節を入れる大手術をしてからはよけいに。まあ手術直後はまだ若かったから普通に買い物していたけど。
近年の異常気象もあって、好きだった庭の手入れも減り、俺が少しずつやってたけどなかなか母のようにきれいに庭を保てなかった。
逆に言うとこれまですごくしっかり草むしりなんかをしてくれていたんだな。あらためて驚かされている。
母が最後に庭の草むしりをしたのは半月くらい前だったかな。3時くらいから日が暮れるまでやっていたらしい。一度やり始めるとついやっちゃうんだろうね。
母が庭も含めて外出したのはそれが最後だったかなあ? いや、かかりつけの病院に薬をもらいに行ったのが最後かな? 帰りに魚べいでお寿司食べたんだ。オニオンサーモンやツナの軍艦が好きだった。
ナツメロが好きで、昔はよく聞いていた。軍歌なんかが多かったけど、べつに右翼、保守思想じゃないよ(笑) 三橋美智也なんかも聞いてたな。
芸能人では、最近は「やすこ」がお気に入りだった。あんな感じの人あたりがいい雰囲気が好きだったんだろうね。ハイーーー!🫡
なぜか以前、ゴールデンボンバーのことをちょっとだけ面白がってたこともあったっけ。なんだそれはww
サザンの桑田は歌い方が嫌だと言って嫌ってた😂
「女相続人」っていうアメリカ映画も好きだったらしく、見たいと言っていたのでYouTubeの動画で見せてあげたことがある。2月1日の母の誕生日の前日あたりにちょうどBSで放送されたんで、遺骨がある部屋のテレビで見せてあげたよ。
晩年は歳取ったせいもあったろうけど、以前からあんまり人の趣味に合わせてくれないところがあって、望遠鏡で月を見せてあげると言ってもめんどくさそうにしてた。「ここにも地球みたいな人が住んでるの?」って。学校に通ってたのが戦前〜戦時中だったせいもあってか、理科の知識なんかなかったんだろうねえ。その後もアポロ月面着陸とかいろいろ知る機会はあったと思うけど、興味がないとこうなっちゃうみたい🤣
花はジャーマンアイリスが好きみたいで、石橋のあやめ園ってとこまで買いに行ったりもした。俺が買った強い黄色のやつをきれいだって言ってた。
ネジバナ、サクラソウ、ゲンカイツツジ、ヤシオツツジ、チューリップ、カタクリ、グラジオラス、ゼラニウム…そんな花が今も庭に植えられている。
少しだけそれらの花を整理…処分するんじゃなくて場所を移動させてもらうと思うけど、悪く思わないでね。
残された俺は子供みたいな猫以外いないし、急に孤独感、寂しさを感じているけど、長い一人暮らしは経験しているので、しばらくしたら慣れるだろう。
でもやっぱり今は寂しい。火葬前の母の遺体が部屋にいるので、時々話しかけている。まだ顔も体もふっくらしていて、弔問に来たご近所さんもきれいな顔だとほめてくれている。そして年齢を聞いてみんな驚いている。
今にも起きてしゃべってくれそうなんだけど、そうもいかない現実は認めなけりゃいけない。
全然出世も何もしなかった息子だけど、親孝行だけはまっとうできたという自負はある。イライラして大きい声を出しちゃうこともあって、ごめんね。あなたの子供に生まれて、あなたの介護、看病、そして看取りをできて幸せでした。どうもありがとうございます。
先に亡くなった父、歴代の猫達、去年亡くなった母の弟や妹達と、天国で幸せに暮らしてください。俺も残った猫を全て看取った後の何年か先に必ず行きます。
重ね重ね、どうもありがとう。
【追記】
その後主治医だった開業医の先生に知らせたところ、ご返事いただいた。
心房細動があったから、それによる急性の脳血栓の可能性があるとのことだった。
心房細動というのは心臓がちゃんと動かずに細かく震えてしまう病気で、そのために血栓ができやすくなるのだという。
あくまでも可能性ではあるけど、それを聞いてなんとなく納得できた。
朝から具合が悪かったっていうのも、血栓が徐々に動いていたんじゃないかな? 気がついてたら首に縄をつけてでも病院に連れて行って処置してもらったけど、俺がわかるわけないし、本人だって同じだよね。
念の為に血液サラサラにする薬は飲んでいたけど、そんなに強力なやつじゃなかったというし、こういうこと含めて寿命だったんだと思うことにする。
搬送された済生会でもいろいろ調べてくれたはずなんだけど、それだけではわかんないものなのかもね。CTは頭部以外の上半身のみだったと思う。心房細動のことは伝えたと思ったんだけど、頭部も撮っていたら詰まった血栓が写ったのかな?
いずれにしてももう母は帰ってこないからしょうがないよね。
意識失った表情を見ても苦しんだ様子はなかったようだから、楽に亡くなったんだと思う。そう思うことにする。
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コメント
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萬坊さん、ありがとうございます。
大変ご無沙汰しております。お元気でいらっしゃるでしょうか。
起きたことの記録は今書いておかなければ忘れてしまいますし、書くことで少し気を紛らすのもあります。
基本的に自分しか読む人もないのでノートに書いてもいいんですが、ブログの方が検索して読み返しやすいのでw
萬坊さんもかなりのお歳になられたことと思います。昨今は異常気象で特にご高齢の方は体にこたえると思います。どうぞご自愛ください。
投稿: 雅@ここの主 | 2026/01/08 10:34
合掌。涙でにじんだ文字を読みました。冷静にこんな文章を書けるなんて君は偉いよ。ご苦労さまでした。
投稿: 萬坊 | 2026/01/07 23:46